今年1月、ニャーナーローカ比丘が出家されてから一回目の雨安居を迎えられました。日々精進され、ご修行に励まれております。

 ニャーナーローカ比丘がこの道に入られるまでの経緯は決して平坦なものではありませんでした。

 紆余曲折の中で真理を求めるお心はぶれることがなかったからこそ、その結果、現在に至っておられます。

  同じく真理を求めつつも悩まれている方々のご参考になるかと思い、ここにニャーナーローカ比丘が出家に至るまでの体験記として記されたものを三回に分けて掲載いたします。

 志を同じくする方々に届きますように。

                                                   上座仏教修道会

 

浄心庵精舎 テーラワーダ比丘出家に至るまで 3つの段階-1

                                               ニャーナーローカ比丘

 テーラワーダ比丘出家に至るまで

 私、ニャーナーローカは2009年1月5日、マハーアウンミィエ瞑想僧院において具足戒を授かり見習出家から正式に比丘となりました。私がまだ見習出家の頃、ニャーヌッタラ長老はよく「サマナ スカ(出家修行者の安楽)」について語られました。ミャンマーから帰国し浄心庵で1安居を経た今、戒律を身に備え瞑想を実践し教学を学べることの幸せ、「サマナ スカ」をかみ締めております。   
 比丘出家に関心を持つ人も増えつつある中、このよい機会にここまで至った道程を少し回顧してお伝えしたいと思います。

 7年程前、ある高名な在家の瞑想指導者のもとで初めてヴィパッサナー瞑想を学んだ時が私とテーラワーダ仏教の瞑想法との出会いの始まりでした。
 その頃の私は禅宗の修行僧でした。禅僧としての自負のようなものもないわけではなかったのですが、修行が完全に頭打ちになり、暗中模索の苦しい状態が続いていました。
 「お釈迦様ご自身は在世当時どのような指導をされていたのだろうか。」このような素朴な疑問とお釈迦様への敬慕の念が私を原始仏教に向かわせることになりました。

 原始仏教への関心は大乗禅で出家する以前から持ち続けてはいましたが、スッタ・ニパータなどの原始経典(パーリ聖典)の邦訳を読んでも当時は全く理解できず、愚かにも「なんと退屈なお経だろう。」などという印象を持ったものです。それがヴィパッサナー瞑想を実践し始めてから読み直してみると、がらりとその印象が変わり、あたかもお釈迦様ご本人の肉声を聞くかのように実に生き生きと心に入って参りました。『よく気をつけて食事の量を知るものであれ』というようなごく簡単な教えにさえ瞑想修行に直結する実に多くのことが込められており、眼を開かされる思いでした。

 「ようやく一生を賭けるに値する行法にめぐりあうことができた。」ヴィパッサナー瞑想を実践し続けるうちにそう思うようになっていました。それ以来、テーラワーダの比丘として出家したい。できれば智慧のある優れた長老に弟子入りして親しく教えを受けたい。このような願いが切実なものになり、ついに9年間に渡りお世話になった禅の専門道場から離れ、ミャンマーでの長期瞑想修行を計画中、ある瞑想会で知り合った方から上座仏教修道会の事を聞き、驚いたことにそのようなミャンマーの優れた長老の方がすでに十年以上にわたって日本でお釈迦様の直接の教えを説かれ日本人を指導されていたことを知りました。

 初めてニャーヌッタラ長老にお会いした時のことは昨日のことのように思い出すことができます。「こんな静かな方っておられるのだろうか。」それが第一印象でした。しばしば会話がとぎれ深い沈黙が続きますが、それが全く気詰まりではない。初めて出会う上座部の長老を前にしてリラックスして安らいでいる自分に内心驚いていました。相手を全く身構えさせないというのは長老の偉大な御徳の一つだと思いますが、後日、長老から大抵の相手は一回話せばその人の人生が分かると聞き冷汗をかいたものです。その場で弟子入りをお願いしたのは当然の成り行きでした。

 しかし、ニャーヌッタラ長老からはミャンマーに行きたい気持ちがあるならば先に行ってきた方がよいだろうといわれ、1年半ほどミャンマー各地の瞑想センターに滞在し、ヴィパッサナー瞑想を学びました。それぞれの瞑想センターで指導されている長老方は素晴らしい方ばかりでしたが、日本でニャーヌッタラ長老に師事したいという気持ちは強くなる一方で帰国して間もなく浄心庵を訪れ、再度弟子入りをお願いいたしました。しかし、すぐには出家の希望は受け入れられませんでした。
 
 長老は「今すぐにはできません。段階的に勉強したあとがいいでしょう。テーラワーダ仏教では在家信者、見習出家、比丘出家の3つの段階があります。この僧院ではある人は在家者として、ある人は在家から見習出家の段階に上って実践します。又、ある人は見習出家の段階から正式に具足戒を得て比丘として実践します。あなたもこの3つの段階で自分にできるところまで実践してください。」と答えられました。

1.在家修行者としての入門

 在家の段階は先ず三帰依と五戒から始まります。ウポーサタの日や瞑想を実践する時には特別に八戒を守ることを学びました。そして、私は浄心庵で三帰依と共に八戒を守る在家修行者として生活することになりました。因みに八戒とは基本の五戒に、「正午を過ぎて食事を摂らない。」「高い大きな寝台を使わない。」「踊り、歌謡、演奏、演劇などを見ること聴くこと、花飾り 香水 化粧を身につけ、装飾品で飾り立てることから離れる。」などの条項が加えられ「邪な愛欲の行為から離れる。」が、「性的な行為から離れる。」に変わり、ミャンマーの在家者は必ずこの八戒を備えて瞑想修行することになっています。

  一般の日本人の生活からすると制約が多いように思えますが、このような戒律を備えて台所仕事の手伝いや清掃などの作務を行いながら毎日を送っていると感覚器官がしだいに澄んできて心身ともにとても軽く楽になります。眼耳鼻舌身意の六感がいかに過度の粗悪な刺激によって汚れ、疲れていたのかよく分かりました。欲から離れると心が安らぐ。これは私にとって新しい発見でした。また戒律を守るという決意が確固としたものになるに従い瞑想中の妄想思考が激減し瞑想実践はとても容易になっていきます。
 
 戒律の段階はこのあと見習出家の十戒を経て比丘出家の227戒にまで到ります。戒律の本質の1つは戒を守るという意志だとされていますが、そのような瞬間瞬間の意志が積み重なり根深い不善な心の習慣をゆるやかに、しかし強力に変えていく様子は驚きのほかありません。
 
 浄心庵での在家修行者としての学習カリキュラムは、五体投地という基本の礼拝の仕方から始まり、5つの限りの無い徳と恩、三帰依と共にある五戒と八戒、在家者の行うべき10の善行為、見習出家の守るべき三帰依と共にある十戒、ダサンガリンガ(還俗させるべき見習出家の相)、ダンダカンマ(罰すべき見習出家の行い)、スッダサカンダカワッタ(14の見習出家の義務) 75のセキヤダンマ(衆学法)を含む119の戒律。サマタ瞑想、ヴィパサナ瞑想の初歩の実践にまで及びます。

 以上の学習もあらかた終わり、在家修行者としての数ヶ月が過ぎた8月の盛夏のある日、ニャーヌッタラ長老が「見習出家になりたい気持ちは変わっていませんか。」と問われました。私は心に何のためらいなく見習出家をお願いしたのでした。

                                        次月「見習出家の段階へ」に続く


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