ニャーヌッタラ大長老の説法
01

人間の本質について(性善説・性悪説とは)

2009(平成21)年5月16日
アジア仏教友好協会主催
於 釈尊会釈尊会記念会

アジア仏教友好協会の主催でこのように毎年、お釈迦さまの誕生、成道、涅槃を尊敬し、礼拝し、お釈迦さまの徳と恩を感じて、皆様とご一緒に、お祝い出来ますことは本当にうれしいことです。
初めにいつものことながら、この会のお世話をして下さる、デレアヌ・フロリン先生、またこのお寺のご住職柳下先生、そして支えてくださる周りの方々に、心から感謝申し上げたいと思います。
それでは今回の説法に入りますが、与えられたテーマは人間の本質についてです。皆さん、我々は人間であるので、人間の本質について識るべきと思います。でも人間の本質について識ることは大変むずかしい問題です。
人間の本質については、一般には“性善説”という人間の本性は善であるという説と反対に人間の本性は悪であるという“性悪説”という二つの考え方についてよく議論されているようです。

お釈迦様の教えでは、人間の本質ついては性善説とか性悪説とかではなく違う観点で教えておられます。お釈迦さまの教えでは人間の本性が善であるとか悪であるとか云っておられません。自分の身体の行為、自分の口の行為、自分の心の行為が善であるか悪であるかによって、ふさわしい善の結果、悪の結果を生むということが、人間のもっとも根本的な法則であり、本質であると教えられています。

皆さん、人間の行為には善行為か悪行為かの二つしかありません。善行為がなければ悪行為、悪行為がなければ善行為となります。これは自然なことです。
それでは皆さん、善行為とは何でしょうか?
善い行いとは自分の行うことが自分の心の喜びであり、その行為が相手や周りの人々にも害することがなく、また相手を助けたり、心の喜びを与えたりする行いを善なる行為といいます。善行とも善行の功徳とも言われています。また善行功徳という自分の心を幸せにする宝にもなります。

その反対の悪行為とは何でしょうか?人間とは善がなければ悪になります。自然です。
自分の行うことが相手を害したり、周りを不愉快にしたりする行為のことです。そして皆さん解るように、その心は自分に対しても良くなく、自分の心を苦しくさせ汚します。
これを悪い行い、悪行為といいます。また悪行は習慣となります。どんどん悪徳を増やしていき、すべては悪い結果となります。そして最後にはどうなりますか。最後には自己破壊になります。自分の人生がくずれます。

人間はもともと悪い心である。罪を持っているとか、いやそうではない、もともと汚れの無い善い心であると決められたものではありません。
自分自身が善い心で行為をすれば、その行為をさせる心はある力を持っていますから必ず善い結果をもたらします。反対に悪い心で悪い行いをすればどうでしょうか?その悪い心の力で必ず、悪い結果をもたらします。皆さんこれは自然です。自然であるということは自然法則ということです。このことは仏教では、原因結果の法則と言われます。また善因善果、悪因悪果とも云われます。この自然法則を徹底的に見極め、研究されたのが仏陀、お釈迦様なのです。

皆さん善い心で善いことをすれば、必ず善い結果を得る、悪い心で悪いことをすれば悪い結果を得るということは自然です。我々は人間であるのでこの法則が人間の本質であるということをはっきり解って実践して下さい。
お釈迦さまは、人間が苦しみから解放されて失われない安楽を得るために、一番初めにこの法則を教えられました。パーリ語では“カンマッサカタ サンマデッティ”(カルマを自己とする智慧)といわれています。日本語では“業自性”とも訳されております。このことを知るのがお釈迦さまの一番初めの智慧となっています。人間に生まれたら、人間の本質である“カルマを自己とする智慧”(業自性)は人間が幸せに生きるために是非識るべき大切なことと思います。“カルマを自己とする智慧”がわかれば、自分の幸せ、不幸せを決めるのは「善行為、悪行為をさせる自分の心」ということになるでしょう。

すべての行為は自分の心が命令をしています。
それでは善い心を育てるにはどうしたらよいでしょうか?
善い心を育てるには、三帰依と共にある人間の道徳である五戒を守ることが第一となります。
三帰依とはお釈迦さま、お釈迦さまの法、お釈迦さまの法がなくならないように守っているお坊さんたちに帰依することです。

五戒とは、

  1. 生き物を害することから離れる。
  2. 与えられたもの以外はとらない、盗まない。
  3. 邪まな愛欲から離れること。
  4. 嘘、偽り、妄語を語らないということ。
  5. 自分を忘れる原因となる、また自分を失わせる原因となる酒類や麻薬から離れること。

この五つを守ることが、悪から離れるということであり、善い心を育てるために大事なことです。
さらに、善い心を勧めるには次の心を育てることが大切なこととなります。それでは自分の根本的な心が善くなる様にするにはどうすればよいでしょうか。

  • 生きとし生けるものに対する平等な慈しみの心。
    怒りのない心。
  • 布施の心。ボランティアの心、助ける心。
  • 正直な心。
  • 思いやりの心、寛容な心。
  • 正しい努力。
  • 尊敬すべき人を尊敬する心。
    皆さん三宝を信じて尊敬しています。自分の親を信じて尊敬しています。自分の先生を尊敬してい ます。尊敬すべき人を尊敬することは幸せです。
  • 恩を知る心。
    お釈迦さまの恩。法の恩。サンガの恩。親の恩。先生の恩。恩を解る人は幸せです。恩を解らない人は苦しみになります。
  • 澄んだ心。
    澄んだ心とは汚れていない心です。自分の心を清浄になるように自分に気付いて、注意して暮らすことです。日本の言葉では心清浄とも言われています。心とはこころ。清浄とは清らかなことです。

例えば、逆境にあっても善い心でなすべきことをなし、一生懸命努力し、悲しんだり恨んだりせずに、少しのことにも感謝でき、人間の功徳である忍耐、努力、感謝などで生きることが善なる行為であります。このような善い心で生きることが幸福のもとになります。これらの善い心は根底に“温かい心”“浄らかな心”から出てくる行為です。

さらに高い善なる心をめざす人は、このような“浄らかな心”になって瞑想をすることが必要です。
瞑想とは自分の身体と心の動きに気付くことです。瞑想を続けると心が透明になり、真実を明らかに知ることが出来る智慧が生じて参ります。そして正しい努力を続けていく先に、最高善である正しい智慧が生じることになります。智慧による覚りに至ります。お釈迦さまを初めとしたアラカン聖者たちの智慧の完成となります。

善心から浄大善心(浄らかなる大きな善い心)そして智慧による最高の安楽、涅槃を得るのです。
人間は精神的に成長する動物と言われます。現在の自分はすべて過去世からもってきた身体の行為・口の行為・心の行為のカルマと、今世の、今日までのカルマの両方の結果です。
智慧のない人々は自分の好きにまかせると煩悩のままに煩悩によるカルマ、行為を重ねていきます。善い心を育てるには、意識して瞬間瞬間に生まれ変わる心と、そこから生じる自分の身体の行為・口の行為・心の行為を善くすることに注意して努力しなければなりません。

まとめていえば人間の本質とは善因善果、悪因悪果の法則に従って積み重なっていく生命存在といえるでしょう。生命存在の真理を識って限りなく心を成長させて最高の幸せに向かって生きていっていただきたいと思います。
人間の本質についてよく理解し、皆さんの人生が完璧になりますように。そして、元気で幸せでありますように……。
正しい真理を解る智慧も出ますように……と祈りながら、人間の本質についての今日の説法を終わります。

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