ニャーヌッタラ大長老の説法
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誕生日の説法−1

2011(平成23)年8月17日
於 淨心庵精舎

今日は2011年8月17日です。セヤドーの誕生日です。セヤドーは1954年に生まれました。今日で57歳になりました。この年齢まで生きて、今までの人生を振り返って見たら、戒・定・慧について、功徳について、お釈迦さまの教えを伝えることについて、心身ともに頑張っていることを見るので、喜びが生じています。ある人は誕生日に自分の人生を振り返っても、功徳について何もないので喜ぶことができません。皆さんも自分の人生を振り返ってみるとき、後悔しないように、喜びが生じるように、毎日、積むべき功徳を積んで生活してください。

日本で教え始めて15年になりましたが、幸い今まで大きな病気もなく、一度も病院へ行ったことがありません。しかし57歳なので、身体を観察してみると若い頃とは違って、あちこちの痛みや季節によって身体の状態が変化する様子が分かります。このように人間は誰でも歳をとります。1年が終わって誕生日を迎えることは、前より1つ年を取ることです。実は死ぬ日は誰もわからないですが、死ぬ日が近づいたということなのです。日本では一般的な人は死について話すことはめでたくないと考えています。

死に関するものは何でも、数字の4でさえも、除いて見えないようにしています。お釈迦さまの教えから見たら死も数字の4も大事なことです。例えば仏教では四聖諦、四念処、四資具、四悪趣など、死が嫌いだからといって、4を除いてしまったら、ちょっと困ったことになります。数字の4はともかく、死という現実を隠してしまう世間とは逆に、テーラワーダ仏教の教えでは死をありのままに観察するのです。死を対象にした死随観というサマタ瞑想もあります。今日はセヤドーの誕生日なので、今までの人生を振り返って、セヤドーは自分の老・病・死について心静かに観察しています。

お釈迦さまが20安居になられた時のことです。お釈迦さまは比丘たちを集めて話されました。
「比丘たちよ、私は今年の安居で20安居になりました。55歳になりました。私の近くでお世話する比丘が一人必要です」
比丘たちは驚きました。
「我々の師であるお釈迦さまも年を取られた。すべての生命は年老いて死に向かっていく」そして、アーナンダ長老がお世話する比丘になりました。

やがて、お釈迦さまが80歳になられた時、お釈迦さまは「古い馬車が巻き布で結ばれてやっと動くように、自分の身体も巻き布で結ばれてやっと動いているのです」とアーナンダ長老に言われたのでした。

お釈迦さまでも、誰でも、この身体がある限りは老・病・死から解放されることはありません。セヤドーの身体も日々老化しているから、今日57歳になりました。老化しない人はいません。病気にならない人はいません。死なない人はいません。しかし、一般的な人々は皆、自分が老化しないように、病気にならないように、死なないように頑張っています。お釈迦さまの時代にも老・病・死のない世界をがんばって探していた神様がいました。そのお話を皆さんにかいつまんでお話ししましょう。

世界中どこにでも行ける神通力のある神が、世界中を駆け巡って老・病・死のない世界を探していました。しかしなかなか見つかりません。そこで、天界の神々に老・病・死のない世界について訊ねてみました。どの神々も「私たちにはわからない。梵天王なら知っていると思います。梵天界に行き、梵天王に訊ねてみてください」と答えました。そこで、その神は神通力で梵天界へ行き、梵天王に訊ねました。梵天王は答えました。

「あちこち探さないで、人間界へ行きブッダであるお釈迦さまに訊ねなさい」
その神は早速祇園精舎におられたお釈迦さまの前に現れて「老・病・死のない世界 はどこにありますか」と訊ねました。お釈迦さまは答えました。

「神よ、生・老・病・死のない世界に歩いて行くことはできません。どこへ行こうとも生・老・病・死のない世界を見て知ることはできません。神よ、実は、心があるこの一尋ほどの身体においても、生・老・病・死のない世界に行くことができる実践の方法を私は説いているのです。その世界の名前を教えましょう。その名前はAmataといわれる涅槃です」
(一尋=約180センチ)

AmataのAは否定の意味、mataは「死」の意味、二つ組み合わせてAmata「不死」「死ぬことがない」という意味になります。生・老・病・死がないということです。
空中には燃えるゴミがないので火が燃えることがないように、涅槃には煩悩によって燃える五蘊(色・受・想・行・識)がないので、生・老・病・死がありません。

誰でも、この身体がある限りは、老・病・死から解放されることはありません。しかしお釈迦さまが教えられたヴィパッサナー瞑想の方法でこの身体を観察するとき、生・老・病・死を超越した世界へ行くことができます。先ほどの神様のように遠くまであちこち探す必要はありません。今、この場所で、この心と身体において、立つ、歩く、座る、寝る、食べる、トイレなど、ヴィパッサナー瞑想の方法で正しく注意集中して実践することで涅槃へ向かうことができるのです。

(次号へ続く)

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