ニャーヌッタラ大長老の説法
03

“善い思念”と“善くない思念”-1

2009(平成21)年7月の満月のウポーサタ
於 淨心庵精舎

今回は、心の行為、パーリ語で“マナシカーラ”についてお話しします。

“マナシ”とは、心、“カーラ”とは行為です。“マナシカーラ”は、日本語では“作為”と訳されていますが、“思念”することです。“対象に心する”という意味です。

お釈迦さまは、マナシカーラを2つに分けて説かれました。“ア ヨニソマナシカーラ”と“ヨニソマナシカーラ”です。“ア ヨニソマナシカーラ”は、日本語では“不如理作為”と訳されていますが、“善くない思念”のことです。

“ヨニソマナシカーラ”は、日本語では“如理作為”と訳されていますが、“善い思念”のことです。この二つの言葉は、覚えておいてください。

ア ヨニソマナシカーラ“善くない思念”、ヨニソマナシカーラ“善い思念”。パーリ聖典を研究するとき、この二つの言葉に皆さんはしばしば出会うでしょう。心の行為を最も重要視するお釈迦様の教えではとても大切な言葉なのです。

それでは、ア ヨニソマナシカーラ“善くない思念”とは何でしょうか。
怒りを生む思念、欲を生む思念、妄想。これらが“善くない思念”です。
一般に人はなぜ“善くない思念”を思念することが多いのでしょうか。

自分の近くに正しい真理を教える先生がいない。法を教える優れた人に親しみ近づかない。このような状態があります。そのために、怒りの妄想、欲の妄想が増大しています。

この人はやがては邪見になります。邪見、すなわち原因と結果のことがわからないので、“善くない思念”が自分の心に現れても平気でいます。悪いことをしても平気でいます。“善くない思念”が多いので、新しい邪見が現れます。前の邪見も増大しています。この人の人生はとても危ない。

お釈迦さまは教えられました。

「ア ヨニソビッカヴェーマナシカロトアヌッパンナー
チェーワミッチャーディッティウッパジャンティウッパンナーチャミッチャーディッティパワッダンティ」

「比丘たちよ、“善くない思念”を思念する者に、生じたことのない邪見が現れます。すでに生じた邪見は増大します。」

法を教える自分より優れた人に親しみ近づかない、法を聴かないですから、この人の心には“善くない思念”が多く生じます。この人の見方は間違っていますから、悪い行為には悪い結果、善い行為には善い結果があるという原因結果の法則を認めません。だから、邪思惟が現れます。邪思惟とは正思惟の反対です。邪見が強くなり邪思惟が現れます。
では、邪思惟とは何でしょうか。

欲尋、欲の対象に心が向かうこと。瞋恚尋、怒りの考えです。もう一つは、害尋、相手の人生が崩れるようにいろいろと悪意で考えること。この3つはだんだん増大します。なぜなら邪見が強くなるので邪思惟が現れ、邪思惟が強くなるので新たに邪見が現れます。悪循環です。

このような人は今世だけではない、前世からの悪いカルマがあるのでこのようになります。輪廻転生の中でこのように流れるとき、人は深刻な危険に陥っています。自分の邪見が強くなり、邪思惟が増大していくので、この人はやがて決定邪見になります。この人は誰が教えても聴かない。たとえお釈迦様やアラカン聖者が教えても変わらない。なぜならば邪見、邪思惟の終わりのない悪循環に陥っているからです。輪廻の中で悪い方向に流れます。

お釈迦様はこのような“善くない思念”を思念する人が、死後どのように生まれ変わるのか説かれました。

「ミッチャーディッティヤービッカヴェーサマンナーガタッサッターカーヤッサベダーパランマラナーアパーヤンドゥッガティンヴィニパータンニラヤンウッパジャンティ」

「比丘たちよ、“善くない思念”を思念する人、邪思惟の人、決定邪見者は、身体が壊れてのち、死後、四悪趣の中で地獄に生まれ変わる。」

(次号へ続く)

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