お釈迦さまの教えに関係がある土地・建物の布施-3
2013(平成25)年12月15日
於 浄心庵精舎
お寺・精舎を布施する由来
お釈迦さまの教えに関係がある土地・建物の布施について、お釈迦さまご在世当時の話をします。
お釈迦さまはブッダに成られた後、最初にラージャガハ国に比丘サンガと一緒に向かわれました。ビンビサーラ王は、自分の公園をお釈迦さまの教えのために使われるように、お釈迦さまをはじめとする比丘サンガに布施しました。これが最初のお釈迦さまのお寺、
(竹林精舎)といわれています。
お釈迦さまが覚りを開いて1番目の安居が終わった後、父親であるスッドーダナ王の招待を受け、最初にカピラ城にお帰りになられたとき、釈迦族のニグローダ王子が守っている王子が所有している公園に建物を建てて、お釈迦さまにお寺として布施しました。このお寺はニグローダ精舎といわれています。
のちに、アヌルッダ長老の妹であるローヒニー王女は、このニグローダ精舎の中に自分のお金で一つの建物を建てて、お釈迦さまに布施しました。その布施した建物の中で、お釈迦さまは多くの説法を説かれました。どのくらい功徳を得るか考えてみてください。
竹林精舎とニグローダ精舎ができた後、比丘サンガはだんだん増えて大きくなっていきました。精舎に住む比丘以外の比丘は、それぞれ山の中、森の中、洞窟の中で、自分のふさわしい所を見つけて住んでいました。
ある日の朝、ラージャガハ国のある富豪は、托鉢に向かう比丘サンガを見ました。半眼で静かに鉢を大切に持って歩く比丘たちを見て、その富豪の心に三宝を信じる心が顕れました。比丘たちが住む建物もなく山や森や洞窟の中で住んでいる様子を見て、富豪は、
「尊き比丘たちよ、私はお寺を建てて布施したいと思っています。いかがでしょうか?」
と比丘たちにお寺の布施を申し出ました。比丘たちは答えました。
「富豪よ、今までお釈迦さまは比丘がお寺の布施を受け取ることを許していません。お釈迦さまに申し出てください」
ラージャガハ国のその富豪は、信じる心が強いので、お釈迦さまに会い、
「お釈迦さまの弟子比丘サンガのために、私はこの土地に建物を建てて布施したいと思います」
とお寺の布施をお願いしました。
お釈迦さまは長い目で見て未来も比丘サンガが困らないようにとお思いになり、
「比丘サンガを目指して布施してください」
と、このときから初めて、比丘サンガがお寺の布施を受け取ることを許されました。ラージャガハ国のその富豪は、自分の広い土地に60軒の建物を建てて比丘サンガに布施しました。
セヤードー(バッダンタ ウ ニャーヌッタラ大長老)は日本に1996年に初めて到着しました。そのとき淨心庵精舎(瞑想堂)1軒だけでした。それ以来建物は増え、この教室を含めると8軒になりました。今年(2013年)、新しい土地・建物が現れたので9軒になりました。ブッダの9徳・サンガの9徳にも通じるめでたい数字です。だから、今は比丘サンガも、淨心庵精舎に住む人々も、瞑想者も、そして上座仏教修道会の皆さんも、瞑想や功徳を積む場所に困らないようになりました。
お釈迦さまの侍医ジーヴァカも自分が所有するマンゴー公園を、お寺としてお釈迦さまをはじめとする比丘サンガに布施しました。11月の満月のウポサタの日の夜、このお寺において、お釈迦さまは有名な沙門果経を説かれました。
また、ラージャガハ国の商人であるアナ―タピンディカという富豪は、お釈迦さまに出会い、説法を聞いて預流者になりました。預流者になった後は、信じる心がとても強いので、「サーヴァッティ町にお寺を建てて布施したい」とお寺の布施をお釈迦さまに申し出ました。お釈迦さまは「サーヴァッティ町から近くもなく遠くもなく相応しい所に建てたらよい」と思われたのでこの布施を許されました。そこで、アナ―タピンディカは、サーヴァッティ町の南門の近くにお寺を建てて布施しました。これが有名な祇園精舎です。
ヴィサーカーという女性在家信者も、サーヴァッティ町の東門の近くに、プッバーラーマ僧院を建てて布施しました。
このように、お釈迦さまの教えに関係がある土地・建物を布施する人々が現れたから、お釈迦さまの教えは守られ今現在に至るまで伝わっているのです。
ラージャガハ国の富豪が、比丘サンガのために自分の土地に60軒の建物を建てて布施するお祝い儀式を行った時にお釈迦さまが説かれた説法があります。お釈迦さまは、「お釈迦さまの教えに関係がある土地・建物を布施する4つの目的」について次のように説かれました。