2006-2007(平成19)年 年末年始10日間宿泊瞑想会に参加された方の感想

2007年1月27日(土)

エーヒ パッシコー
(自分で実証できる教え)

2007年の冬、年末年始10日間宿泊瞑想会に初めて参加させて頂いてから、これまで5回の宿泊瞑想会に参加させて頂きました。テーラワーダ仏教に出会い、ヴィパッサナー瞑想を始めて約2年が経過し、自分の心も安定性が増しました。以前は、今後の人生を考えて、先の見えない漠然とした不安に悩まされることもありましたが、そうしたことも今ではなくなりました。

ヴィパッサナー瞑想修行を始めるきっかけは、それまで、確信していた西洋的価値観が自分の中で崩壊し、「真実とはなんだろう」との疑問が生じたことでした。
私は、今から約10年前、それまで長く憧れていたアメリカで仕事をする機会に恵まれました。渡米当初は、文化、言語、生活、思想など全てが新鮮であり、大変刺激的な生活を送ることができ、満足しておりました。

そんな中、9.11事件が起き、アメリカの政治的な方向性は大きく転換し、また自分自身もビジネス上の大規模な取引に携わり、綺麗ごとではない米国流経済ルールを目の当たりにすることとなりました。それまで長く西洋的価値観に親しみ、資本主義を信じてきた自分は、徐々に、現在の世界経済システムに疑問を持つようになり、歴史的な視点から、国際政治経済を研究しました。

そこから発見した個々の事実については割愛しますが、自分にとって最も大事な発見は、「現在の資本主義社会では、ありとあらゆる場面において、人間を欲と怒りに陥れる罠が仕掛けられている」ということです。別の言い方をしますと、今の社会では、普通に生きていても、欲と怒りを持たざるを得ないように意図的に仕組まれており、この意図的構造の中で、我々は資本主義社会に貢献するように仕向けられています。

現代資本主義社会における経済繁栄とは競争社会によって支えられているのが現実であり、競争社会における成功者の大半は、欲と怒りに支配された無知な人間です。欲と怒りに支配された無知な人間が、どんなに経済的に成功しようとも、精神的に充実して深い幸福を味わっていることはあり得ません。
このことは、冷静に考えれば誰にでも理解できるシンプルな事実ですが、我々は、学校教育とテレビ・新聞によって洗脳されているので、このシンプルな事実を理解することすら容易ではありません。
自分もその例外ではなく、お釈迦さまの教えに出会うまでは、真理を知らずに、欲と怒りの奴隷でありながら、「幸せって何?」と自問して生きてきました。「猛毒」を口に含んでいながら、「健康になるには?」と悶絶していたようなものです。

現在は、お釈迦さまの教えに支えられ、欲と怒りこそが不幸の原因であることを痛切に感じており、この悪因を制御することにより、苦しみから離れられることが理解できるようになりました。
ヴィパッサナー瞑想で、自らの体の中で起こっている現象を集中して観察していくと、様々な悪因となる感情の生起を早期発見することができ、不幸の泥沼に陥らずに済みます。

宿泊瞑想会でニャーヌッタラ長老にご指導いただく度に、新たなステップを上っている実感があります。
前回の合宿では、「素早く同時に複数で動く心の作用を、ただそのまま認知する」ことを体験することができました。この体験により、今まで、曖昧に「怒り」と認識していた状態が、たとえば「音」→「うるさいという判断」→「怒り」というように細分化されたプロセスとして認知されるようになりました。
心の流れが細かいプロセスとして認知されるようになったため、各々のプロセスが次のプロセスに回転するパワーを弱めることができ、また、「原因」と「結果」についても明確に認識できることが多くなりました。
このような体験から感じますのは、「お釈迦さまの発見された真理は、実証できる」という素晴らしい事実です。既に理解されている求道者には当たり前なのでしょうが、「ダンマの六徳」で説かれている内容が「事実」であるということは、大変驚きであり、大きな励みとなっています。

欲と怒りの奴隷から解放され、大空を自由に飛び回る鳥になりたい、という想いで、これからも日々修行を続けて参りたいと思います。今生が終わる迄に、欲と怒りの奴隷から解放される喜びを味わうのを夢見ております。まだまだ発展途上の身でありますが、ニャーヌッタラ長老のご指導をこれからもお願いできれば幸甚と存じております。

また、いつも大変素晴らしい瞑想修行の環境をご提供下さる竹田先生、吉田正学女、佐竹様をはじめとし会の皆様に深く感謝を申し上げます。

K.O.

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